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2019年9月 3日 (火)

なぜオカミに頼らず改革できないのか?(1)

大学入試改革の一環で、各大学の選抜学力試験に、大学入試センター試験の英語科目に代えて、民間の英語試験による結果を活用するというアイデアが、有力大学の離反で、事実上頓挫しかけている。選抜試験の1点刻みの合否判定に、民間試験の結果を持ち込むことは不可能だというのは正論である。民間試験の換算値を、受験生が納得する形で公平に作成することは、確かに不可能と言ってよい。もっとも、1点刻みの選抜試験を見直すことなしに、民間試験の活用がうまくいかないことは、誰の目にも自明であったと言わざるを得ない。大学側が1点刻みの選抜試験の維持に拘るならば、民間試験の組み入れはどうにも無理である。文科省も、そんな事情はとっくに承知であったろう。ホームページに特設サイトまで作って、今更ながら「やっている」感を出しているのは、もはやアリバイ作りのような印象である。本気で民間試験の組み入れを促進するには、有力大学の猛反対を押し切る覚悟で、選抜試験を1点刻みでやってはいけないとするガイドラインでも出すしかなかろう。腹をくくるなら、財政援助に響くと明示することで大学側は拒否しにくくなるから、大学入試改革は文科省の描く姿になっていくかもしれない。逆にそこまで押しつけの度合いを高めて批判を浴びたくないなら、民間試験結果の選抜試験への活用は進まないに違いない。

それにしても、日本という国は、制度の設計や変革を、なぜオカミに頼りたがるのだろうか?オカミの方針に従うことで、横並びの「平等」が保障されると、安心できるからだろうか?しかし、世界との競争を考えたとき、本当に安心なのだろうか?デジタル技術が社会インフラとして当然のものとなった21世紀には、こうしたオカミに頼る行動パターンが仇になっていると強く危惧している。デジタル経済社会を先導しているのは、企業や非営利団体など民間の組織である。オカミに頼りたがる組織は、この指とまれで前に進んでいく流れに乗れずに、後手を踏んで周回遅れになっていく。「危機感なき茹でガエル日本」(小林喜光監修、経済同友会著、中央公論社刊)に描かれている残念な状況にも、その基底にオカミ頼りの心的病理が潜んでいると思う。その病理から抜け出せないと、茹でガエル症状は、いつまでも続き、日本の凋落が止まらないのではなかろうか?

オカミに頼れなくなれば、大学入試改革は、各大学で考えるしかなくなる。文科省としては、茹でガエル症候群の治癒を目的に、思い切って役割を放棄してみたらどうか?失敗が目に見えているなら、一度ゼロに戻す意味もある。大騒ぎした記述式問題は妥協の結果、形ばかりに縮小されている。大山鳴動して何とやら、とても改革の名には値しない。18歳人口は減少が続く。私立大学の大半は、選抜試験以外の方法で学生確保に勤しんでいる。これからも、その傾向が続くため、選抜試験の役割は相対的に低下する。最近の調査によれば、高校3年次の3割は、授業以外の勉強時間がゼロであるという。同じ高卒といっても気が遠くなるほどの学力格差がありつつ、学納金が用意できる家庭の生徒は、事実上学力不問で高等教育に進学できる時代である。文科省は、大学入試に関わるよりも、底辺の底上げで高卒の学力格差を縮小する施策を展開した方が良い。毎年度実施している全国学力調査の分析から、仮説に基づいて種々の方策を導けるはずである。データに基づく施策に、ぜひ実証的手法で取り組んでもらいたい。

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