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2019年9月19日 (木)

なぜ高等教育の無償化の施策は失敗するのか?

我が国でもようやく給付型奨学金の制度が誕生したが、安倍政権のおかげで、ごく低所得層の子供にも高等教育への道が大きく拓かれてめでたいという話は、あまり聞こえてこない。もともと、家庭の所得水準が相対的に低い子供には、国立大学に入学できる学力さえあれば、入学後、授業料が免除されている。新制度は、国立大学に入学するほどの学力はなく、家庭の所得水準が極めて低い子供に対して、定員充足率が低く、学力試験が選抜の意味を持たない私立大学(いわゆるFランクかそれに近い大学)への入学を促進する効果がある。そのような施策への予算投入は、学生の経済的自立への援助になる保障がないばかりか、競争力の弱い私立大学を追加的な公費により存続させるという副作用を生んでしまうので、施策として大いに疑問である。施策としての問題点については、今の段階できちんと批判する責任を、教育学の専門家は負うべきである。

以上については、過去にも記してきたことだが、「ルポ教育困難校」(朝比奈なを、朝日新書)を読んで、全世代型の社会保障という文脈においては、ほぼ全員が進学する高校レベルの教育機会を底辺から支えることに、より重点を置くべきだとの思いを強くした。新たに就任した文部科学大臣は、まずもって公立の教育困難校への視察に出かけるべきである。この本の著者が指摘しているように、高等学校等修学支援金制度が、公立の教育困難校から私立に生徒を奪われる副作用を及ぼしているなら、施策として軌道修正を図る必要があろう。この点も、文科省は、つぶさにチェックして、直ちにアクションにつなげるべきである。

端的に言えば、教育困難校にこそ、ヒトとカネを投入して、一人でも多くの生徒の個性と学力を伸ばして卒業させることが、人口減少の中で、支えあって健全な社会を築いていくために役に立つ人材を供給することになる。高卒の段階での教育格差を、教育困難校への手厚い措置で是正することが、結局は社会保障の収支バランスの改善にもつながる。少年期の教育の失敗は一生ついて回り、遅かれ早かれ公的支援に頼らざるを得ない人間を再生産してしまうからである。しかも、教育困難校の生徒には、個別に事情を抱えている者が多く、教育以前の問題でも手間がかかる。辞書も買えない家庭もあり、学習環境自体が専ら学校に依存することが避けられない以上、本人の将来だけでなく、社会の未来のために、教育困難校には、公財政からヒトもカネもかけるしかない。通う側としては教育困難校というレッテルは好ましくなかろうから、学習支援重点校とでも看板を掲げて、ソーシャルワーカーのような相談役も配置して、教員にも誇りとやりがいが持てる職場に変革していく必要があろう。

文部科学省は、従来から機会の平等には重きを置いてきたが、新自由主義的な競争原理への傾倒が過ぎた時代を経て、もう一度、原点に回帰する必要がある。人口減少という課題への対応の中で、経済格差、教育格差への緩和を政策の軸に、施策の在り方を再考してもらいたい。

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記事分割が無くなって、読みやすくなりました。
いつも有益な情報をありがとうございます。

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