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2019年11月

2019年11月14日 (木)

なぜ上からの大学入試改革は頓挫したのか?

高等学校を含む関係者からの強い懸念表明にも拘らず、文科省としては「方針変更はない」と説明されていたので、この11月1日になって、文科大臣から、「経済的な状況や居住している地域にかかわらず、等しく安心して受けられるようにするためには、更なる時間が必要だと判断するに至りました。大学入試おける新たな英語試験については、新学習指導要領が適用される令和6年度に実施する試験から導入することとし、今後1年を目途に検討し、結論を出すこととします。皆様が安心して、受験に臨むことができる仕組みを構築していくことを改めてお約束を申し上げます。」という発表があったのには、驚愕させられた。

岩波書店の「科学」10月号「特集 大学“改革”?」に掲載された羽藤由美教授(京都工芸繊維大学)の論考「国立大学は若者を犠牲にすることに加担するな~迷走を続ける英語入試改革の現状」を読んだばかりだったが、官邸主導の「改革」が官邸主導で一旦停止になったのは、「加担」させられてきた文科省や国立大学にとって、寝耳に水のことだろうと少なからず気の毒に感じる。これは、二階に上がってはしごを外される典型的なケースである。羽藤教授は、国大協、国立大学(一般選抜に使用しないとした北海道、東北、京都工芸繊維の各大学を除く)への痛烈な批判を展開しているが、はしご外しにあった多くの大学関係者にとっては、腹が煮えくり返る思いだろう。

文科大臣は「経済的な状況や居住している地域にかかわらず、等しく安心して受けられるようにするために」更なる検討期間を設けると説明しているが、どういう仕組みを作ろうとも、東京一極集中の構造から脱することができず、かつ子どもの7人に1人が相対的貧困となっている我が国では、「等しく」なるわけがない。そういう条件を満たすことを前提にするならば、民間試験の活用は、端から不可能である。文字通りに受け取れば、不可能条件を課した諮問であり、論理的な答申としては、英語民間試験の大学入試への活用は、条件を満たせないため断念せざるを得ないことになる。今回の方針変更は、文科大臣自身の「失言」が引き金になったものだが、結果的に、「災い転じて福となす」よろしく、文科大臣は、安倍政権が作り出す寸前だった危機から国民、特に受験生と保護者を救ったことになる。もちろん、全体の構図は、官邸の自作自演の愚行だ、失態だとの批判は免れまい。しかし、なぜ、ここまで「改革」が迷走してしまったのだろうか?

上辺だけを見れば、文科省が業者に丸投げで、主体的に試験の実務を構想準備しなかったからだが、根底には、官邸と文科省の力関係が大きく影響しているだろう。方針決定時に、文科省から、受験回数の違いを生み出す家庭の経済格差、地域による試験会場までのアクセス格差のほか、多様な英語試験の間の評価・換算方法の難しさは、容易に指摘しえただろう。実際に、そのような場面があったのかは、報道による取材に待ちたいが、かりに論理的な反論をしたとしても、英語民間試験の導入という方針変更は、力関係から実現できないと諦めたのではなかろうか?官邸主導で上からの改革を推進すること自体がすべて間違いだとは思わないが、今回の頓挫は、起こるべくして起こったものである。しかも、英語民間試験の実施主体には、志願者の大幅増=経済的利益が確実に入ってくる構図が、誰の目にも明らかである。また、受け身とは言え、「加担」させられた文科省にも、業者からの間接的な利益が見込めるので、度重なる批判にも頑固に方針を維持しようとした動機が透けて見えるのである。さらに、国立大学は、「加担」で利益を得るわけではないが、運営費交付金等の財政支援を期待して、官邸に恩を売るつもりだったのかもしれない。少なくとも、反旗を翻して官邸主導の改革に異議を申し立てて、事を荒立てるのは損であると判断したのだろう。そうであれば、官邸の共犯として、片棒を担いでいるとの批判は免れえない。国立大学への信頼に関わる嫌な話である。世間からは、そうした目で見られるに違いないので、正統な反論があるなら堂々と早くした方が良い。ただし、言い訳はしない方が良い。また、今後の検討では、学術の府に相応しい態度を貫いてもらいたい。

 

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