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2020年4月

2020年4月29日 (水)

どのような課題を解決すれば9月入学を実現できるか?

コロナ禍への対応を機会に、全国知事会から9月入学推進の声が上がっている。9月入学にすれば、どんな良いことがあるのか、精査が必要であり、社会的合意形成には、まだ時間がかかるだろう。9月入学は、教育改革の議論が始まると常に議題になることでもあり、一部の大学だけで実行しようと試みた経緯もあるが、高校以下が4月入学のままでは、学生に空白期間の待機を強いることが避けられないために、結局定着することなく、一旦忘れ去られている。国を挙げてウィルスと戦う中で、突如としてオバケが出てきたような印象も持つが、本当に実行するならば、どんな課題があるのか列挙してみたい。どれも簡単な話ではない。

前提として、9月入学とは、すべての学校種を通じて、4月入学を9月入学に改めることだと定義しておく。転換期には、4月入学した学年と9月入学した学年が、同一の学校内で混在することになる。また、9月入学への転換の際には、入学時期を遅らせることになるので、前年の4月から当年の8月までに生まれた子供(17か月分)が入学する。したがって、一時的に学級数が増えることになる。転換の方法については、幾つかの選択肢を設けることも可能だが、考える前提は、直球勝負のフル9月入学ということにしておく。

考えられる課題は、国の制度の変革を要するもの、社会的に解決が必要なもの、教育界で対処が必要なものに大きく区分しうる。

まず、国の制度に関わる点を挙げてみたい。第1に、予算制度との調整である。学年歴が9月から8月までに変更されるため、国の予算制度(4月から3月まで)とのズレが生じることになる。そのため、予算年度の切れ目で、決算作業が必要となり、年度の端境期には予算執行が一時的に止まることになる。この弊害を緩和するには、9月から8月までの2予算年度にまたがった予算執行を例外的に可能にする仕組みが必要になる。予算の単年度主義は非常に固い原則であるため、ここに風穴を開けることができるかが、9月入学への転換の成否を握るといっても過言ではない。第2に、国家資格や公務員等の採用試験などの時期を、学年歴との関係でどの程度調整できるかが重要な課題となる。単純に言えば、5か月後ろ倒しにできるかであろう。この点は、採用=就職の時期とスケジュールとの兼ね合いもあるので、多様な関係者の合意形成抜きには進まない。これは、9月入学への転換の論点の中で、学生や保護者の関心が最も高い点でもある。

次に、社会的なシステムの変革である。上述した就職活動のスケジュールもその一つである。そのほかの点を挙げれば、第1に、学校関係の人事システムも、9月入学になれば、当然に、9月が採用・異動時期になるので、4月を起点とする一般の人事システムと乖離する可能性が高い。教育界だけが別のシステムでサイクルを形成するのは難しい。社会的なシステムを教育界の都合に合わせることも難しい。第2に、スポーツに関して、学年歴の末に当たる夏季に行う大会は、卒業や入試の時期と重なるため、卒業生や受験生の参加が難しくなる。スポーツの側で時期をずらせるならよいが、容易ではあるまい。スポーツの論点は、社会的な関心も高く、簡単に乗り越えられるとは思えない。となれば、9月入学への反対論がスポーツ界(体育スポーツ系大学を含む)から起こってもおかしくない。第3に、転換期には4月から9月まで新入生の入学時期が遅れるために、学校にとって、入学定員×5か月分の授業料に相当する収入が減る。この収入減は回復不能で、学校経営には半永久的な負荷になる。特に、私立学校の場合に重大な問題になりうる。9月入学への転換の費用の一部として公的な支援が必要であろう。あるいは、転換期の収入を補うために、上級学校に進学する際の4月から8月までの空白(待機期間)において、対象となる学生・生徒への予備的な教育サービスを教育機関に有料で提供させる可能性も検討すべきだろう。その際には、コロナ禍への対応で注力しているオンラン授業の成果も活用したらよい。

最後に、教育界において対応すべき点である。上述の待機期間を教育の観点からどのように有効に活用するかについて、知恵を絞る必要がある。大学等では学校間の競争領域になる。そのほかの点として、第1に、学年歴の再構築である。夏季休暇等のタイミングで、オープンキャンパスやインターンシップなどの行事を組み立てているが、すべてがずれてくるため、適切な見直しが必要になる。2021年夏には、東京オリンピック・パラリンピックが開催される。この時期に、わざわざ9月入学の初年度をぶつけることはないだろうが、かりにそんな事態になれば、入試や単位取得・卒業と重複するので、大学教員や学生ボランティアの参加への制約条件になる。第2に、9月入学の最大の目的である競争力(特に国際性)の強化である。大学に関しては、海外大学との短期学生交流を含む種々のプログラムの実施が求められる。グローバルに認知されることを目指す大学においては、モデル的な学科のみならず、大学の国際性の平均値を上げる必要があろう。種々の社会的費用を負担して、国民的合意に基づき9月入学を実現したとすれば、教育における具体的な成果が達成されなければ詐欺になる。最終的な責任は、専ら教育界に掛かってくるのである。

以上、まとめると、9月入学には、社会的システムの変革、社会的費用の負担、新学校システムの社会的包摂という課題がある。これらの課題解決は容易ではない。それらを乗り越えてでも、本当に9月入学を実現したいのかどうか、十分考えるべきだろう。もっとも、9月入学が、どんな利益を我が国にもたらすのか、冷静な分析・判断が、その前に必要であることを忘れてはならない。コロナ禍を機会に変えたいという気持ちには共感できるが、今の我が国の大学に対する財政措置が大きく変わらないとすれば、9月入学によって国際的競争力が格段に向上するとは思えない。全国知事会の方々は、志の高い大学人にも、よく話を聞いてみたらよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年4月 9日 (木)

どれだけの大学がコロナ禍以後への準備ができているのか?

7都府県に感染症による緊急事態宣言が出たが、大学教育も歴史的転換点に差し掛かっている。こうした認識を持てない大学は、生き残れないだろう。ICTの活用については、世界は先に離陸しており、有力大学間の競争が本格化している。なにしろ、東京のように外出自粛ではなく、ニューヨークやパリ等では、自宅に閉じ込められているのだから、大学教育はオンラインで受けるしかない。いささか出遅れているにも拘らず、コロナ禍による授業開始の遅れは、一時的な措置だと高をくくっている大学があることには、驚きを禁じ得ない。少なくとも前期の授業を全面的にオンラインに切り替えると公表している大学は、まだ少ない。キャンパスでの授業を行っていない現時点で、48にも上る大学で感染者が確認されている。授業が始まれば、感染爆発は火を見るよりも明らかである。焼け石に水としか思えない感染予防措置で、56日の緊急事態宣言の対象期間終了後に備えようとしている大学には気の毒だが、無駄な努力だと思う。

どうしてもリアルな授業の実施にこだわるのには、彼らの利益に関わる理由がありそうである。第1に、大学という組織・施設の意味が相対化され、設置基準により保証された既得権が失われかねないことである。第2に、大学教員という職業に変革がもたらされることから、教員の既得権が危うくなるからである。第3に、授業自体がデジタルコンテンツ化されれば、教員の数も淘汰される可能性がある。経営側からは、特に非常勤教員の雇用を減らすことができるという見方がされている。

確かに、オンライン教育は大学経営や教員の地位に影響を及ぼす可能性も無視できない。しかし、大学という比較的浮沈の少ない業界に大きな変革の波となって押し寄せる、下手をすると長い歴史を持つ大学さえも、丸ごと飲み込んでしまうほどの歴史的転換点となる可能性がある。そちらの方が、大学人にとって、より大きなリスクであり、またチャンスと捉えられるだろう。にもかかわらず、潜在的恐怖ばかりを感じているために、コロナ禍を短期的に乗り切る方策とだけ考えて、小さなパッケージで「オンライン授業」を実施しようとしている大学もあるようである。「オンライン授業」の標準があるわけではないが、単に、Web経由で教材を配布して、自学自習によりレポートを提出して終わりということでは、郵送で問題や添削答案が届いた40年前のZ会の受験指導の方が、中身はよほど効果的だったと思う。要は、その名に値しない「オンライン授業」しかできない大学は、自らの価値であるべき教育=授業を放棄しているだけなのである。この事態の中で、学生に大学らしい授業をいかに届けるか、誠心誠意取り組まないような大学には、金輪際、進学しない方が良い。「オンライン授業」を大学への試練=試験だと思わないなら、すでに競争に敗れている=死んでいる大学だということである。

「オンライン授業」として、遠隔会議システムであるZoomを利用したライブ型(録画機能の利用も可能)、収録した授業を配信するオンデマンド型は、学習効果をチェックする仕掛けを組み込むことで、教育質保証が担保されうるだろう。また、パワーポイントに音声を付したものも授業の代替手段としては、一応、合格点となりうるものである。ただし、学生による作業の時間、理解度の確認テストを組み込むなど、教員から一方的に講義する旧来型のスタイルではなく、知識が定着する授業への工夫が不可欠である。

手法の選択と並んで気になる点は、学納金を受け取っている大学が組織的に取り組んでいるというよりも、大学が雇用している個々の教員による対応に委ねている様子が垣間見える点である。Zoomを利用してライブで授業を行うのは教員に違いないが、授業の構成をオンライン授業に適した形態に変革するためのノウハウが学部で共有されているとは限らない。誇り高い大学教授に対して自動車教習所のような指導は行えないだろうが、これまで行っている授業を、そのまま行うのでは教育効果は、リアル授業に比べても相当下がってしまうに違いない。また、危機に際して欲張りすぎるのは難しいとはいえ、日本の学生が週間に履修する科目数が多すぎるという問題に鑑みれば、授業の形態をアメリカの大学並みに予習重視型に改めて、まずは履修を週間8科目以下に抑えること、そのために全授業科目を大幅に削減することに着手することが望まれる。

「オンライン授業」には、大きな副産物がある。第1に、物理的な距離を超えて履修が可能になることである。海外で合宿している学生アスリートにリアルな授業に近い教育を受ける機会になるばかりか、一般学生にとってもキャンパスや学部を超えての履修が自由になる。さらに、大学間の連携措置で、他大学の授業が履修可能にもなる。有力な授業コンテンツを有する大学は、経営的な武器を手にすることにもなるのである。第2に、教員の授業改善の契機となりうる。いわばFD研修の実践版である。結局、魅力のある授業を行う力がある教員が、富と名声を手にすることになるだろう。そういう教員をそろえる大学が競争に生き残るに違いない。第3に、大学施設等の「装置」に該当する部分の価値が相対化するということである。私立大学は、学生募集のために、キャンパスの施設設備に投資をしてきたが、快適なキャンパスよりも充実したICT環境と授業が面白くてためになる看板教員に投資した方が優位に立つことになるだろう。

文科省も急速にオンライン教育へ舵を切っている。コロナ禍が一段落しようとも、2020年は、大学にとって歴史的転換点である。変革に尻込みするなら、淘汰は避けられない。大学の経営力、特に経営層の力量が問われている。コロナ禍は健康面でも経済面でも苦しいことばかりだが、歴史的には、大学人に新たな挑戦への舞台を開けてくれたと前向きにとらえていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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